「思い出」

大東町更生保護婦人会 元会長 縣二三江様

 地区役員様より御依頼頂きましたが、何分にも昨日のことも忘れる様な節目の八十歳を迎えた私には少し難しい宿題です。始めて更生保護婦人会の存在を知ったのは、昭和五十五年大東町婦人会の理事をお受けした時です。当時は婦人会員も二千人近く居りました。本部役員は即更正保護婦人会員として多くの活動に参加しました。保護司会の先生方との合同研修を始め、青少年健全育成施設へのボランティア、刑務所の慰問、そして一円玉募金、タオル・石鹸等の寄付は今に引き継がれています。今もはっきり脳裏に焼きついているのは駿府学園の誕生会です。七名の生徒が将来の夢を語りました。薬物によって犯された身体は自由を失い落ち着きがありません。「二度と薬には負けません、出所したらおじさんの下で大工になります。みんなの前で誓います。」と言ったあの少年は今どこでどんな生活をしているのか、ふと三十数年前の日の出来事が走馬灯の様に浮かんで参ります。
更女の皆様の御活躍御祈念申し上げます。
帰り支度をしていた私に十六歳の少年A君が一枚の紙切れをそっと渡してくれました。大切に持ち帰り家でそっと開けてみると、次のような句が記されて居りました。今も大切にして居ります。

・持久走  いつもタイムは
びりだけど
次ガンバレと
肩たたく先生(ひと)

・母さんの  呼んでる声で
目を覚ます
暗い部屋には
友の寝息が